Dada Means Nothing (前回) ダダイズムとは その1 第一次世界大戦の影響からアートに アンチ・アートの思想が生まれ、今までのアートに持たれた期待から大きく相反し、政治的でイデオロギーを多分に含むようになっていきました。そして新しいアートを目指しダダと自ら名づけることとなる、文学的・芸術的・ある部分で政治的に主張を持つ若者を生み、さらにそこからシュルレアリスムも派生しました。 当時、未来派と呼ばれ後にファシズムにも傾倒していくようなった芸術の過激な動きに反発し、後のダダイストとなる様々な国籍の若者達はスイスのチューリッヒにて結束し、詩人トリスタン・ツァラを中心に『ダダイズム宣言』を書きあげました。若いダダイストたちは戦争を憎み 既成概念を払拭するために言語を破壊し『Dada Means Nothing-ダダは何も意味をしない』と声明しました。厭世観から来る無気力という意味での『何も意味をしない』ではなく、現実を方向転換させるための若者の懸命な抵抗・革命でありました。 ダダの思想は急速に世界中へ広がり、アメリカでもアーティストが同じ思想を持って活動をしていました。その中心の一人がフランスから渡米したマルセル・デュシャンです。そしてデュシャンはアートの神格化を揶揄する目的を持って作品を作るようになりました。彼は『Ready-made - レディ・メイド (既製品) 』の手法をアートで使用し、アートに大きな転換期をもたらします。アートの主役が、作品のモチーフではなく、作ったアーティストでもなく、それを見る人、へとなったのです。そのことで後のアーティストへと大きな影響を及ぼし、アートは新しく人間社会の中で役割を持つようになりました。 世界大戦のような世界中の人々が否応なしに悲劇の方へと巻き込まれてしまう社会の中で、もがき苦しんだ若者が作り上げたものがダダイズムとなって世界中へ発信されるようになりました。そのような状況であったからこそ、人々に求められ希望されたのかもしれません。暗闇の中にあるおぼろげな光であったダダが、後の現代アートの種になり、今のアートへと続いています。人間が人間らしく生きるための100年以上前のアートの光が現代にもまだ確かに差し込んでいます。アートが人間社会を少しでも明るくできる存在であればと、私は願ってい
ネオダダやヌーヴォー・レアリスムの元になったダダイズムとはどういうものでしょうか。 18世紀後半、市民(ブルジョワジー)によるフランス革命が絶対王政を崩し、産業革命が世界を(ヨーロッパを)席巻し、世の中は真新しい社会に生まれ変わるはずでした。しかしその約100年後、20世紀初頭に第一次世界大戦が勃発します。フランス革命後、資本主義社会になり王族に変わり新しくブルジョワジーが政治的・経済的に市民(シトワイアン-一般的市民)を支配していました。そんな世の中で第一次世界大戦が始まり、それをきっかけに市民(シトワイアン)が立ち上がったのです。文明化の仮面を被って支配し苦しめるブルジョワジーに立ち向かい、それを体現するように全ての古い価値観に抗い、新しい価値観を持った社会を築き上げようとしたのです。 この社会的な出来事は当然の様にアートにも強く影響を及ぼします。既存の価値観の放棄や 戦争による社会不安 により、全く新しいものが世の中において必要とされる頃、前衛美術(アバンギャルドアート)が生まれました。今までのアートではなく、もっと政治的でイデオロギー の含まれる、そして視覚的にも今までとはまるで違った作品が出てきたのです(実際には第一次世界大戦前からあるキュビズムや抽象芸術も含まれます)。既存の価値観を備える古いアートへの大いなる反抗でした。その頃のアバンギャルドアートからダダイズムも生まれました。 そしてその前後、19世紀後半からにわかにアーティスト及びアート作品が神格化され始めてもいました。ダダイズムの始まる1910年代頃には、それがピークに達していたようです。私の個人的見解ではウィリアム・モリスの アーツ・アンド・クラフツ運動も大きな原因の一つだと思っています。卓越した技を駆使して作られた工芸品(クラフト)やデザイン(絵画ではないという意味の)は芸術品って言っていいんじゃないかっていう運動です。この運動によって、上手にできた工芸品やデザインは芸術品と名を変え、高価で売買されるようになりました。 それに加えて、少し前のロマン主義や印象派と違い、キュビズムや抽象芸術のような一見して”わけがわからない作品”は見ている人たちに、「こんなわけがわからないものを作る人たちは、私たちがわからないようなすごいことをしている賢い人たちに違いない」と印象付けたのでは